コロナウィルスの感染予防で使われ出した“Social Distance”という言葉を聞いたとき、極めて奇異な感じを受け、友人などには「“Social Distance”なんてコロナウィルスの流行前から日本国中で流行っており、皆実行してきていた」と言いましたら、友人は怪訝そうな顔をしていました。 “Social Distance”という言葉は、主として社会学的或いは心理学的な観点からの主として心の距離などに使われる言葉だろうと私は理解していました。
普段電車に乗ることはめったにない私にとって、以前から、裁判で東京に行ったときに乗る山手線や地下鉄丸ノ内線での光景はまさに“Social Distance”満載でした。
電車に乗る前に駅のホームで一緒にいた友人らしき連れが電車に乗り空いている座席に座るや、スマートフォンを取り出して、流行の動画を見たり、ゲームをし始めるのです。
そのような光景は電車内のみならず、街の至るところで見かける光景です。
スマートフォンに没入しているときには、周囲の人とは全く隔絶された世界にいるのです。
街中“Social Distance”のオンパレードです。
WHOは、「密」にならないようにするための距離を“Physical Distance” と表現するということらしいです。私の疑問に対する肯定的な見解が出たと思いました。
“Social Distance”が疎な電車の中での“Physical Distance” は将に「密」でした。
コロナ禍の真っ只中では“Physical Distance”は必須で、現在もそれが励行されています。
“Physical Distance” や“Stay Home”により、国民が政治に興味を持ち、黒川問題などで政府の悪政を正しました。
これからは、“Physical Distance” が保たれるとともに、国民一人一人が思慮し、“Social Distance”が「密」になることを願いたいと思います。
そして、コロナ禍が一刻も早く収束することを願わずにはいられません。