コラム

3.11から1年

平成23年3月11日午後2時46分

それは現在生きている日本人がこれまでに経験したことのない未曾有であり、その後遺症がいつまで続くか判らない災害が発生したときだ。

それから早いもので1年が経過してしまった。被災者にとっては長い1年であったかもしれない。

今日は1日中、震災で亡くなった方の御霊を慰める式典が執り行われ、テレビの画像には特集の番組が流れされた。

オリンピックの女子マラソンの代表を選ばれる名古屋マラソンも開催された。JリーグやJ2の試合も行われた。当地松本においても松本山雅が戦った。

それはそれで良いだろう。

しかし、マラソンの実況をしていた元女子アナウンサーが目にも眩しい青色の洋服の上に取って付けたかのような紺か黒のブレザーを着ていた光景は若干滑稽だった。その人は現役時代からも若干おかしなところがあったように思う。

民放が資金源がコマーシャルだが、それにしても、追悼のための番組の合間にはいつものとおりとてつもなく明るいコマーシャルが流され、それが終わると再び元の番組に戻る。私は、番組とコマーシャルとの頭の切り替えに戸惑った。

そして、特別番組の裏番組では何事もなかったかのようにバラエティー番組だ。

「3月11日」は1年前から存在し、その日は日本国民にとって特別な日だったはずだ。

震災後、「絆」などという言葉が氾濫した。私は、震災を契機に日本人が忘れかけていた何かを思い出す機会になれば良いと思った。そうでなければ、亡くなった方もうかばれない。

「絆」というスローガンを掲げるなら、日本国民は3/11を特別な日にしなければならない。

去年はプロ野球も日程をずらした。

それなのに1年たってしまえば、予定どおり全てを行う。

「僕らの活躍で皆を元気にしたい。」「(生きている者が)元気にすることで、日本中が元気になる。」などということは聞き飽きた。

君たちの幸せの100万分の1の幸せすら味わえないまま、去ってしまった子供はどうなんだ。

「そのときだけ」悲しむのはお止めなさい。

少なくとも3.11だけは日本全国で静かに亡くなった方のご冥福を祈るのが礼儀であり、「絆」を叫ぶマスコミも契約上はともかくも1日くらいコマーシャルを流さなくても良いのではないか。マスコミがコマーシャルを流さないからといって、違約罰を取ろうとする企業がいたら、それはまさしく「絆」など忘れた金の亡者と化しているものに他ならない。

3.11とそれに続く後遺症に対しては、私のような個人では何もできない。却って足手纏いになるのが関の山だ。

せいぜい、若干の義捐と祈ることしかできない。

本当にやるせない1日だった。