コラム

遂に声を上げた!!!

平成9年から平成14年まで最高裁長官であった山口繁さんが、新聞社の取材で、国家安全保障関連法案について、集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反であるとの見解を述べられた。

憲法学者が国家安全保障法案が憲法違反であるとの意見を述べたとき、高村自民党副総裁は、憲法の番人は「最高裁」であり、憲法学者はそうではないと言い放ったが、遂に、現職ではないが、憲法の番人のトップにいた方が声を上げた。
これまで、裁判官だった人が声を上げた初めてである。例外的に、冤罪事件の判決を担当した元裁判官が言い訳がましく取材に応じたことはあっても、今回のような政府、与党の暴走に対して、マスコミを通じて意見表明をしたことは前代未聞である。

山口さんは、政府及び与党が、砂川判決において「必要な自衛の措置」を認めていることを根拠に限定的な集団的自衛権の行使容認を導き出したことについて、当時の時代背景からすると、「集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは考えられない。憲法で集団的自衛権、個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった」と述べたということである。
また、砂川判決を受け、1972年の政府見解は「必要な自衛の措置」を取り得るとする一方で「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と明言しており、その後の歴代政権もその見解を引き継いできたにもかかわらず、現在の政府及び与党は、1972年政府見解を行使容認の論拠としつつ、安全保障環境の変化を理由に結論部分を百八十度転換したのであるが、この点についても、山口さんは、「七二年見解の論理的枠組みを維持しながら、集団的自衛権の行使も許されるとするのは、相矛盾する解釈の両立を認めるもの。72年見解が誤りだったと位置付けなければ、論理的整合性は取れない」というのである。
さらに、こうした憲法解釈変更が認められるなら「立憲主義や法治主義が揺らぐ」と懸念を表明。「憲法によって権力行使を抑制したり、恣意(しい)的な政治から国民を保護したりすることができなくなる」と危ぶまれたというのである。

これに対して、法曹資格を有する谷垣幹事長その他政府及び与党関係者は、口をそろえて「現在は一私人である」「今回の山口さんの意見は一私人の意見に過ぎない」との見解を次々と発信している。
谷垣さんや高村さんは、前のコラムにも述べたとおり、「集団的自衛権は違憲である」という教育を骨の髄まで受けているのではないか。どうして、どのような論理(ご都合?)で見解を変えたのか?

首相は、「一私人」である森本元防衛省大臣の意見は聞き、「みやねや」だか何かのテレビには出演し、森本さんからレクチャーを受けたことを語るのに、もっと憲法・法律について憧憬の深い方の意見は「一私人の見解」として突っぱねるのか?

そのような首相の態度は、自ら赤子のように欲しい物をねだるときに、おじいちゃん、おばあちゃんを見方にするのと何ら違わないものではないか。
大人それも一国の命運を委ねられた者が取る態度ではない。

マスコミは、本来、権力者の横暴を見逃すものではない。
M社、Y社は、A社バッシングをし続け、その影響力を削ぎ続けた。
しかし、2社のやっていることは何だろう?

我々国民は、そのようなマスコミに煽動されてはならない。