コラム

現在の司法試験について

ちょっと過激かなと思いつつ、司法制度(殊に司法試験等)について私見を述べさせていただきます。

そもそも、ロースクールの制度は、弁護士の本来の存在意義である人権の擁護ではなく弁護士業務を一ビジネスに過ぎないとの米的な考えにかぶれた者と、2世に跡を継がせるためにはどうしたら良いのか、同一の考えを持つ同士をどうやったら増やすことができるのかなどといういわば低俗ともいえる発想を有した者との合作であると評価されるべきものではないかと思っているのです。
そこには、本来の「弁護士とはどうあるべきか」などという発想は微塵も感じられず、ためにその制度に反対した者(私も含む)は「時代錯誤の権化」のごとく評され、相手方にもされない状況でした。
その後、多数のロースクールが潰れてはいるものの、ロースクールの数はいまだ沢山あります。
しかし、いくらロースクールを卒業したとはいえ、司法試験の受験者が5000名を割り込みそのうち1500名が合格するなどという現象は、法曹界・弁護士の能力発掘の観点からすると、惨憺たる事態ではないかと思うのです。

当時、私たちの意見は、外国における「法曹人口の統計」により口を封じられました。「法曹人口」の統計について私たちは日本と外国との基礎の違いを述べたのですが、全く無視されました。
もっと、発言したいことは山ほどあるのですが、約20年前ころから発想され、15年を超える期間実施されてきた現在の司法試験には様々な問題点があることは明らかです。

しかし、それを指摘する法曹は私も含め年々年老いていっており、新たな歪んだ制度によって誕生した法曹が活動の中心となっていくことが必至で、私たちの年代の意見など「懐古趣味」の域をでないとの評価をされることは必至です。
今後、法律の世界(殊に民事)において「真実の発見」などという言葉が死語にならないことを願うばかりです。

しかし、少なくとも司法試験を憂う感覚を有している法曹は、ロースクールという制度について、ここいらで一度総括・反省をしたうえで、次世代に向かっての新たな法曹養成制度について議論をすべきではないかと思うこの頃です。
ロースクールが動き始めて15年も経ってしまったとはいえ、司法試験に対する価値の崩壊的な下落の現状を直視し、ロースクールの制度もここらで見直すべき体制となっているのではないでしょうか。

サイレント・マイノリティ(マジョリティ?)の意見を聴けるというのが本来の法曹の姿です。
日本の法曹界が、下世話でスポーツ的訴訟観に支配された訴訟ビジネスの業界にならないことを願うばかりです。