両親の相談から暫くして、債務整理の当事者である問題の長男が事務所を訪れた。
一見、温和しそうで人柄は悪そうではない。しかし、悪い言葉で言えば、覇気のない、だらしのない感じである。自分の意見もきちんと言えない。
「負債はどのくらいあるの?」
両親から事前に聞いていたが、敢えて聞いた。
長男はもじもじして答えない。というより、知らないのだ。
すかさず、「それなら相談できないね。」と言う。
長男は、ますます困った顔をする。
「誰の問題なの?」
「自分のです。」
「サラ金からの請求書は?」
「オヤジたちが持っているんで」
「持ってきていないってこと?」
長男は黙って頷いた。
「もう一度聞くけど、誰の問題なの?」
「自分のです。」
そろそろ、ほんの少しは判ってきたかな?
暫くの沈黙の後、
「お父さんたちにお金は払わせないからね。」
長男は驚いた顔をする。案の定である。
「今回も、また、お父さんに損をさせて解決しようと思っていたわけ?」
長男は黙ったままだ。
「あの車はどうやって買ったの?」
「オヤジが買ってくれました。」
私は、車好きということもあり、車とそれを選ぶ人の性向というものに興味があるので、債務整理の相談のときには、予め相談者が乗ってきた車を見ておくことが良くある。
「どうして、あんな車が君に必要なの?」
長男は答えられない。
その長男が乗ってきた車は、白の日本製大型高級車の中古、それも5年落ちくらいのものだ。手入れは行き届いており、オプションでエアロパーツが付けられており、若干ローダウンされている。
「まあ、良いか。君が今のように多額の借金をしてしまった理由を話して。」(このとき、私の中には長男の答えは絵に描いたように既に浮かんでいる。)
「2年前に借金をしてしまい、オヤジに200万円を出してもらい一応整理したんだけど、残りがあり、それはオヤジには言えず、返し続けていた。その返済のために次々と借金が増えてしまい、自転車操業の状況になってしまいました。」
予想どおりの回答だった。
そんなことを聞いていないのだ。自分の心の中にある原因、例えば、仕事をしないこと、仕事が長続きしないこと、何故アルバイトで我慢しているのかということ、などなど、これまでの自分の生き様についての反省を聞いているのだ。
私の質問の意図を察することができる人であれば、こんな借金など負うはずはないともいえる。
その回答についての批判から始まり、長男の債務整理の事件が漸くと始まるのである。
そして、打ち合わせの最後に、「当事務所の費用についても分割で良いので、きちんと、君が支払わなければ事件は受けないからね。」と言ってその日は終わる。
債務整理殊にサラ金に手を出してしまった若者の事件については、当該若者が2度と同じような過ちを繰り返さないようにするのが任務であると考える。
それ故に、当該若者に対しては、それまでの怠惰或いは依頼心の塊であるかのような生活態度を内省させ、今後の生き様については真の大人となるために厳しく接するようにしている。
そして、息子の債務整理には両親が口を挟んではいけない。それはますまず息子をだめにする。息子が独立するように我慢し、援助をしないことが息子を本当の大人にすることなのだ。
可愛いのなら、子供が痛むのを我慢して見守る態度が必要なのだ。その援助のために弁護士がいると思っている。