私は、少し前のコラムで、日本人は国際社会で「戦争をしない国民」として生きていくべきだと主張しました。
平成27年11月13日の夜、フランスの首都パリで無差別テロが起こり、約130人が死亡する事件が発生し、ISが犯行声明を出し、「フランスがシリアでの空爆を続ける限り、標的であり続ける」と表明しました。
それに先立つ平成27年10月31日、ロシアの旅客機がエジプト東部のシナイ半島に墜落して乗客乗員224人全員が死亡した事件についてもIS関連の武装組織がなしたものとされいます。
これらはいわゆるテロなのですが、田原惣一郎氏は、パリのテロについて、「今回のテロには、一つの大きな特徴がある。」として、「今までのテロは、国あるいは都市の象徴的な場所が狙われていたが、今回はそうではない。」と述べています。即ち、平成13年(2001年)9月11日のアメリカの同時多発テロでは、ビジネスの中心地である国際貿易センタービルに旅客機が2機突っ込み、国防総省本庁舎(ペンタゴン)に、旅客機が1機激突したのですが、それらはいずれもアメリカを象徴する場所であったのに、今回のパリの同時多発テロは、レストランやカフェ、ライブハウス、スタジアムなど、観光客が多く訪れるというよりは、どちらかというとフランス人にとって日常的な場所で起こったもので、フランスに移住してきた移民の子孫たちが暮らす場所からもほど近い場所で、フランス人にとっても移民の人たちにとっても、日常的に利用する場所で行われたというのです。そこで、今回のテロは、もしかすると、ISのトップが、パリでのテロの詳細な計画を立て、命令したものとは違う経緯で行われたことなのではないか、組織的なテロとは異なる可能性があるのではないかというのです。
しかし、テロ集団は、これらのテロの大義として、ISは、フランス及びロシアいずれも同時テロについては、ロシア及びフランスがISの拠点に空爆等を加えたことに対する反撃であるとしています。
日本或いは日本人は、これまで少なくともテロ集団に対し直接的な攻撃をかけたことは絶対にありませんでした。ですから、日本人を対象とした外国人テロ集団から同時テロを受けたことはなく、日本人に対して加えられた攻撃は身代金目的以外には考えられず、そこにテロの大義(肯定するものではありません。)を持ち出すことができない「絶対悪」であり犯罪であったのです。
しかし、国家安全保障法案が成立し、それに基づいて空爆を加える国(フランス或いはアメリカ)に対し、自衛隊が後方支援をする可能性があるということになると、それだけでテロ集団は日本或いは日本人を自分たちに危害を加える可能性のある主体として、攻撃或いは反撃することができるという「大義」を与えられてしまうのです。
ここにおいて、テロ集団が日本或いは日本人を攻撃することが、絶対悪・犯罪から相対悪に変質してしまいました。それは日本国がテロ集団に対抗する集団的自衛権を担う者の一員となったからに他ならないのです。
スイスは永世中立国として徴兵制度(2013年に国民投票の結果、徴兵制度を廃止する案を70%を超える否決票で存続が決まりました。このような結論に至ったのは、スイスが集団的な自衛権を認めていないことと無関係ではありません。)を有し、都市などには核シェルターも存在していると聞きます。しかし、テロ集団は、これまでスイスに対して攻撃をかけたことがあるでしょうか?詳しい情報はないので確信ではありませんが、そのようなことはなかったのではないでしょうか?
私は、徴兵制度を認める論者でもなく、防衛力を上げるために軍事力を増強しろという論者でもありません。そのような力ではなく、日本にしかできない方法、例えば海外における貧困の撲滅ための活動或いは人道的活動等で日本の存在感を訴え続けることだろうと思います。
スイスのような現実主義的な考えからすると、このような理想主義はあり得ないという批判を受けることは承知しています。しかし、時間はかかるかもしれませんし、じれったことだろうと思います。しかし、それが将来日本及び日本人のとてつもなく貴重な財産となることは絶対に間違いのないことだと確信しています。
現在、日本国の首長である安部首相は、海外に行って、世界中の人たちに「世界の平和のために、アメリカと同盟を組み貢献したい」とコマーシャルに躍起になっています。首相は、「私たち日本及び日本人はアメリカと同じですよ。」と主張し回っているとしか言いようがありません。
それは、言うまでもなく、日本及び日本人を危険に晒すことだということが、どうして理解できないのでしょうか?
本当にいい加減にして欲しいものです。