現在、参議院において、国家安全保障関連法案の審議が行われています。衆議院ではあっけなく全ての法案が多数決という「力業」で可決されてしまいました。
ここにきて、これまで沈黙を守ってきた有識者が次々と法案に反対する声をあげています。これまでメディア等の表舞台にでることを好まなかった人たちが、それこそ沸いて出てきているという感じです。
「鳥なき里の蝙蝠(コウモリ)」という諺を思い出します。
「鳥なき里の蝙蝠」とは、「鳥のいない村里では、蝙蝠でも我が物顔で威張る」という意味から、すぐれた者がいないところでは、つまらない者が幅をきかすことの例えとして使われる諺です。
将に今の国会は「鳥なき里」ということができる状況で、そこでは妙に偏った蝙蝠どもが闊歩しているのです。二世議員それも蒼々たる父或いは祖父の七光りだけで権力を手中にしたような者が、自己の能力の無さを「七光り」により覆い隠し、自分より能力を持った者を従えている状況は滑稽でさえあります。彼ら二世に難しい政治を任せること自体不思議な現象です。どう考えてもまともな教養をも持ち合わせているとは思えないのです。ですから、あのような法案は一体誰が起案したものなのでしょうか?
法曹関係者である議員さんも何らの躊躇なく法案が憲法にも全く抵触していないと自信満々に話しています。信じられません。まあ、司法試験を合格するにも、普通の人より何倍もの時間がかかっている人たちなのですから、受験時代に習った憲法も砂川事件の重要性も全く忘却の彼方にあるのでしょう。
我々が習った司法試験の憲法においては集団的自衛権が憲法上認められるなどと回答した途端に落第だったはずです。砂川判決の解釈においても、最高裁判所が集団的自衛権は否定していないなどと解釈しても同様だったはずです。それだけ、現在、弁護士会及び大学教授あるいは嘗て内閣法制局に在籍していた人たちが唱えている原則は日本国憲法下においては定理あるいは公理といっても良いものであったはずです。
よくもまあ、法曹資格のある国会議員で、法案に賛成している者たちは、相当できの悪い人たちなのです。それらの者は法曹関係者の中では、それこそ異端者であり無教養というレッテルを貼られてもおかしくない人なのです。
そんな蝙蝠しかいない村というべき国に漸く鳥が戻ってきてくれています。
日本は世界に誇れる憲法をもっています。それはロナルド・キーン氏も認めています。日本人は、武力ではなく、日本人独特の叡智・教養・価値観に基づき、同様に日本人の得意技である「工夫」により世界平和を実現する途を選択すべきです。