私の年代はその人たちから、「ノンポリ」(ノン・ポリティカル)などと揶揄というか見下されていました。(これは私の僻みでしょうか?)
学生運動で大学を解体したのは良いのですが、それはそのまま放っておいて背広に着替え、高度成長期の波に乗り企業の中心となり、いわゆる「企業戦士」として活躍したのでしょう。しかし、企業戦士は家庭を顧みることなく、そのため、家族との会話は疎かになり、いわゆる断絶が生じました。その後に訪れるバブルの恩恵を十分に享受し、労働力や政治の世界の大票田となり主流を続けていたのです。
そして、その人たちが定年を迎えたころから、彼らは第2の人生の重要性を多数人で唱え始めました。そのころには、彼らが企業戦士となっている間に培養した現代社会の持っている歪みが蔓延しているにもかかわらずです。本当に彼らは「永遠の勝ち組」であろうと思います。
現在、暴れまくっている政治家の筆頭は私たちと同じ年代です。 どうして、昔のように、説教をたれたりしないのでしょう?無責任の極みではありませんか。 こんなことを言うと、私自身、その年代の人たちに袋だたきにされそうです。 与党の幹事長は昭和13年生まれです。戦前派であり、彼らより年寄りです。戦争のつらさを中学校時代に味わっているにもかかわらず、反戦争の態度は全く見られません。そのような人たちに替わる年代が多数いるはずです。 彼らの声が聞こえません。圧倒的多数派であるはずの彼らの声が。
それを理解するためには、彼らは「極左」を標榜していましたが、実際は「=極右」だったのではと。即ち、権力志向を有し、権力を掌握するとそれを「自分たちの心地の良いように」振り回していたに過ぎないということなのでしょうか? 彼らの説教を、卑屈になりながらも真摯に聞いていた私たちは一体何だったのでしょう?彼らが声を上げないというのであれば、もう頼りにはしません。小さな老後の幸せを謳歌されたらいかがでしょうか。