最近、NHK特集の再放送を見る機会がありました。以前にも見たことのある番組で、題名は「そしてイナサは吹き続ける」(番組の副題は「震災の前も後も、変わらず受け継がれているもの」というものだとおもいます。)というものでした。
それを見て、以前から抱いていた疑問が再び頭を擡げ出しました。そこで、暫く忙しさに紛れてサボっていたコラムに掲載することにしました。
この番組のプロデューサーの方は、NHKのページで以下のとおりの製作コメントは以下のとおりでした。
「イナサ」とは、仙台平野の海辺の村々に大漁と豊作をもたらす暖かい海風です。この恵みの風が吹き寄せる荒浜集落で、地元仙台の制作チームが11年にわたって撮影を続けてきました。ディレクターは何人も変わりましたが、一貫して撮り続けている一人の老カメラマンがいます。そのカメラを通して荒浜の人たちを見つめる温かいまなざしが、番組のいちばんの見どころです。 中でも印象深いのが、漁師の孫娘マユコです。撮影を始めた11年前は12歳。『北の国から』の蛍のようなかわいらしい女の子(写真上)でしたが、震災の体験を経て、22歳になりました。 いまも仮設住宅から勤めに出るマユコは、去年の暮れ、港のおじいさんの船にやって来て、昔と同じように新年の飾り付けを手伝っていました。 「見た目はイマドキの女性になったけど、気持ちはあのころと変わらない」。 まるで自分の孫を語るような老カメラマンの誇らしげな表情! 震災で集落の姿は変わり、何もかも失われてしまったように見えるけれど、決して変わらず受け継がれているものがある。震災を生き抜いた人たちの強さ、たくましさに勇気づけられる番組です。 (番組プロデューサー)
番組でいう仙台の海辺とは、仙台市街の若干南方の海岸線にある荒浜地区のことです。そして、この漁師さんが震災前に働いていた漁港は閖上港です。私も退官前3年間仙台の裁判所に勤めており、閖上港やその近くの貞山堀には幾度となく釣りに出かけていたものです。震災の翌年には実際に訪れ、その惨劇を目の当たりにしました。
現在では、高い防潮堤が建設されるとともに、震災で被害を蒙った荒浜地区には新たな家を建てることは基本的にはできないようです。
荒浜地区には、毎年春から初夏にかけて「イナサ」という暖かい南風が吹き、漁師・農民はそれを感じて漁業・農業をしていたのです。
番組の中で印象的だったのは、ある農民がイナサを感じることができなくなったことを述べていることや、老漁民が防潮堤のために海を見ることができなくなるとともにイナサを感じることができなくなったとの言葉を述べていたことです。
3・11の震災がなければ、農民も漁民もイナサを感じて仕事に勤しんでいたでしょう。
農民や漁民が海岸線を通り渡ってくるイナサを直に感じられなくなったのは、直接的には防潮堤が建てられたことであり、その原因は震災による大津波であったことは間違いありません。
しかし、私の脳裏からは、「震災による大津波の被害と大規模な防潮堤の建築とは因果関係があるのか」という疑問が離れません。
3・11の震災被害は数百年に1度というものだと聞いたことがあります。そうすると、確率的にいうと数百年後の震災に備えた防潮堤を現在建築する必要性はあるのでしょうか?
地震学については全くの素人ですので何とも言えませんが、現在での確率からすると、南海トラフによる東南海地震と東北で再び前回の震災と同様の地震が起きるのを比べると、前者の方が圧倒的に高いはずです。
そうすると、津波の被害を防止する「防潮堤」の現在における必要性は東海・紀州・四国の方が圧倒的に大きいということができます。
それにもかかわらず、3・11によって津波被害が発生してしまったところに、数百年後の大震災に向けた防潮堤を建築するというのは如何なものかと思ってしまうのです。その莫大な予算を現実に家をなくした方々に、家を提供する方が良いのではないかと思うのです。そのようにすることは数百年後の東北に来るかも知れない大震災の予防にはなりませんが、今、現在を生きている人にとってはどれだけ幸福な人生となるのか計り知れないのではないかと思います。
震災によって太ったのは、いわゆる大手ゼネコンのみであり、現在は起こりえないと言っても過言ではない場所に、数百年後のために莫大なお金が浪費されているものといえます。防潮堤の建設は決して「復興」などというものではありません。
政府は、このような「防潮堤」を建設するために、莫大な資金を大手ゼネコンにばらまき、仮設住宅をなくし被災者に家を与えるという根本的な復興は骨抜きになっているといえます。
また、一方で政府は、東南海地震が東北の震災が今後起きる確率より高いことを知っていながら、平然と愛媛や熊本(現に地震が起きています。)にある原発を稼働させ或いはさせようとしています。これは一体どういうことなのでしょうか?
前述の番組のプロデューサーの製作意図にクレームをつけるものではありません。しかし、それを見て、改めて大きな疑問・矛盾を感じてしまいました。