親戚の男の子と食事をしたときのことだった。
箸の持ち方が気にかかった。自分が小さいころに教わった形と違ったので注意した。子供は迷惑そうな顔をしながらも、私が示した形を真似ながら正しい持ち方で食事を始めた。ゆっくりとではあるが、持ち方を会得した。
次いで、汁がよそわれた椀でみそ汁を飲もうとした。その形にも違和感を感じた。
人差し指を椀の縁にかけ、手の甲を外側に向けて椀を小指及び薬指と親指で縦に挟んで持ち上げ口に運んでいた。それも私の教科書にはないものだった。そこで、私は、手のひらに椀の高台付近を乗せ、手のひらを上方に向け、親指を椀の縁付近に添えて飲む形を教えた。どう見ても、子供の持ち方は行儀が悪いのだ。
私が子供のころ、そのような持ち方をしていたのかもしれない。仮にそのような持ち方をしていたら、母或いは父からなおされたのかもしれない。しかし、物心がついてからというもの、そのような持ち方は行儀が悪いと思っていたし、形もおかしいと思っていた。
私は、その子がそのような持ち方をする理由を考えた。
食事に関するマナーをきちんと教えていなかったからかもしれない。もしかすると、その親も同様の持ち方をしていたのか?しかし、そうではなかった。
その子供のような持ち方をしたとき、使う筋肉は手及び腕の外側の筋肉だ。
私の持ち方だと手及び腕の内側の筋肉が緊張する。
そうだ!と思った。
内側の筋肉が使われていないのだ。前にコラムに掲載したファミリーレストランのお姉さんだ。物を置くときに大きな音を立ててしか置くことができない筋肉の持ち主と同じだと思った。
そして、その子の手と腕を見た。とても締まりのないものだった。内側の筋肉を使っていない。
そのままだと、コンビニエンスストアの前や駅の構内で座り込んでいる体幹のない若者になってしまうと思い、私は事あるごとに注意することにした。いくら口うるさい爺と言われようとである。
それとともに、私に正確な茶碗或いは椀の持ち方を教えてくれた亡き両親に感謝する。