コラム

佐藤コーチの顔は私の宝物だ

今回のソチ冬期五輪で、私の一番印象に残ったのは、浅田真央さんのコーチの佐藤信夫さんが、真央さんのフリー演技を終えたときにテレビに映し出されたあの顔だ。佐藤さんの顔を見て、思わず涙がこぼれそうになった。その後、何度となく再放送があったが、そのたびに益々涙が出そうになったが、傍らに妻がいるので、そのようなことはできずにいた。

佐藤さんの顔はいつ涙を流してもおかしくない様子だった。

佐藤さんは、バンクーバー冬期五輪でキム・ヨナさんに20点以上の差を付けられた真央さんのコーチになった。

佐藤コーチは、当初真央さんのコーチになることを躊躇ったとも聞く。

しかし、コーチに就任してからは、真央さんの最大の弱点ともいえるスケーティングのスピードを増すために、スケーティングの基礎からやり直したというのである。練習風景の画像を見ても、基本のスケーティングを佐藤コーチのかけ声に合わせて真央さんが滑るものがあった。

その結果、スピードはアップしたが、ジャンプの確立は極めて低くなった時期があり、大会でもそれまでにはないような悪い成績の期間が長く続いた。

スケーティングの基礎を継続することにより、真央さんの演技力は増し、佐藤コーチとしてもトリプルアクセルを飛ばなくても、三回転や三回転のコンビを組み合わせることにより、世界でも再び戦えるまでになったという。しかし、真央さんは、伊藤みどりさん、そのトリプルアクセルへの憧れを捨てることができず、佐藤コーチの主張を聞かなかったということだ。そして、佐藤コーチの指導で身についたスケーティングを基礎として、トリプルアクセルに挑み、遂に最後のフリースケーティングで実現した。 

あのときの佐藤コーチの顔は忘れられない。佐藤コーチの指導は確信に満ちていたものと推測する。しかし、結果が出なかったときの不安感を考えたとき、現在の私たち弁護士に置かれた状況とダブルものがある。私や同世代に学んだ者たちにとって、基本が全てのようなものであり、そこから様々な応用があった。しかし、現在の弁護士会のみならず法曹会はそうではないような気がするのだ。付け焼き刃的な勉強で法曹となり、法曹となってしまったから応用としての仕事をしなければならなくなる。そのときに、再び基本に帰るための勉強をするのか?毎日の仕事、そして、生活にも追われてしまった者或いは法曹になったことに浮かれてしまった者がそんな地味なところに回帰するのか?

しかし、基礎のないスケーティングと同様に、基礎のない法曹は、一般人に感動を与えられるような仕事はできるはずはない。

佐藤コーチのあの顔は、私に力を与えてくれた。

私を頼る人がいるのであれば、その人のために私が確信している基礎或いはその応用編を与えようと思えた。

そんな力を与えてくれた佐藤コーチの顔であった。佐藤コーチありがとうございました。