これは今のところ人間にだけ与えられた能力だろうと思う。
動物が、獲物を捕らえるためのものとは違う。それを同じというのであれば、それでも良いが、ここで問題としているのは、そのような短期的なものではなく、将来についての予見とでもいうべきか。
法律家の世界では、現在、毎年2000人の法律家が誕生している。「司法改革」の名のもとに生じたいわゆる大増員である。
司法試験が極一部の者(年間約500人弱)しか合格しなかった時代に比べると、それは4倍である。
司法試験合格者の増員が言われ出したとき、私も含めて相当数の弁護士が大反対をした。
しかし、その声はほとんど耳を傾けられなかった。
その結果、現在では、東京などでは、弁護士となったは良いが就職先がない者が相当数存在している。また、これまで見向きもされなかった地方都市へ都会の出身者が弁護士となってきている。
弁護士事務所から給料はもらわず、事務所だけ無償で貸してもらって活動しているいわゆる「軒弁」も日弁連は容認する始末である。
大増員により、このような事態が生ずることは容易に予想できたことだ。
大増員が始まったのは、バブルの崩壊により経済が右肩上がりではなくなったころからだから、その予想はほぼ誰にでもできていたはずだ。
それにもかかわらず、いわゆる渉外事務所(それは100人にも達する事務所で、顧客を大会社として外国等との取引を補助する。)、一定の思想に基づきそれを社会に伝播させるべく多数の弁護士を傘下に納めようとする組織の弁護士は、こぞって増員が社会正義を実現するものであると主張し、それに反対するものに対しては、「ギルド」的なもの、既得権のみを守ろうとするものとして国民の敵であるかのプロパガンダを展開した。
大増員に反対した者に対しては、その根拠となる基礎的資料がないなどと言い、単にそれは推測・憶測に過ぎないとも主張したと思う。
予想・推測というものが数字に基づいたものでなければならないなどという、それこそ悪い意味での官僚的発想により全てを考えるところに謝りがある。
予想・推測は、人間が生きてきた経験値の問題なのだから、数字で表せなくても正しいことがある。
それは我々が毎日生きていくうえにおいても重要なことで、だからこそ先人の意見が重要なのだ。それが数字や統計等に裏付けられたものでないとしてもだ。
人間の生き様においては、将に推測・予想という英知が基礎とならなければならない。
正しい予想・推測に基づいた生き様をするためには、先人の意見に対して謙虚に耳を傾けなければならない。
そのような訓練をしていない者が政治を司ったとしても国民を破滅に導くだけだ。
そして、それは政治の世界だけではなく、一般の社会生活においても同じことが言えるのだ。
日本及び日本国民は危ういのではないか。