私は、外食が結構好きだ。しかし、食通ではないので、どんな店にも行ってみる。
その夜は、全国チェーンのファミリーレストランに行った。そこのハンバーグが面白いと思っている。
席に着くと、若いアルバイトのお姉さんが来て、何やら話をした。それは、その店でキャンペーンを張っているものを紹介しているようだった。しかし、全く頭に残らなかった。
その他にも何か言ったが、私には聞き取り不能だった。
妻に、「今なんて言った?」と聞くと、妻も「さぁー?」というだけだ。妻は、ファミリーレストランは、ウェイトレスと話をするところではないと達観しているらしく、メニューをしきりに見ている。私は、その店で注文するのは決まっているので、メニューは取り立てて見なかった。
呼び出しのボタンを押すと、先ほどのお姉さんが、さっそうとやってきて、注文を聞くと、確認のため注文を繰り返した。それはじっくり聞かないと判らない。私も年をとったのだと思った。
「この人、他の人に判るように話をしたことがあるのか?」と思った。
まあ、アルバイトだから仕方ないかとも思った。
暫くすると、お姉さんが、ナイフやフォークの入った容器を持ってきた。
驚いた。それをテーブルに置くときに、「ガチャン!!」とナイフやフォークが大きな音を立てた。お姉さんが容器を無造作にテーブルに置いたからだ。一瞬、私は、今日お姉さんには何か腹立たしいことがあって、物に当たっているのかと思い、妻に「あの人機嫌が悪いの?」と聞いた。
妻は、その音には無関心で、また、また、「さぁー?」と言うだけだった。妻は、自分はそのようなことをしなくても、他人にそれを強要しない。私と全く性格が違う。妻は、そのお姉さんを別世界の人だと達観しているのだ。若干凄い。
私は、面白くて、お姉さんを少し観察した。
そして、わかったというか、想像がついた。
そのお姉さんには、物を「そっと置く」という習慣がないのだ。
そして、物を静かに、音を立てないように置くための筋肉を使ったことがないのだと思った。
学校から帰ると、親が用意してくれた自分だけの部屋に、鞄を「ドサッ」と置き、勉強をするときにも、鞄から本を机に「ドサッ」と置いていたのが習慣となり、そっと置く筋肉の使い方を覚えなかったのだと思う。
自分の部屋ではなく、親がいる面前でそのようなことをしたら、多分、親殊に母親などは、言葉の表現はともかく「そんなに乱暴にしてはいけない」と注意をしたに違いない。
或いは、そのお姉さんは、お母さんの注意など耳を傾けなかったかもしれない。
アメリカに行っても、若干高級感あるレストランでは、物を置くときでも静かだ。
しかし、ファーストフードの店やコンビニエンスストアなどでは、物の取り扱いは乱暴だ。
韓国に行くことがある。
南大門や明洞などの繁華街には若者が溢れている。しかし、東京などと若干風景の違うところがある。
私だけの感覚かもしれないが、いわゆる「座り込む」若者はいないのだ。それにひきかえ、東京などでは道路の片隅に座り込みをしている若者が目立つ。
どうしてか?
やはり、筋力ではないか。
スポーツでもそうだが、韓国人選手は体幹がしっかりしているような気がする。サッカーでもそうだ。日本に帰化した李忠成君を見れば判る。日本の選手でも一流の人は同じだとは思う。
しかし、現在、民族的に見たときに、日本人は体幹がないような気がしている。
静かな動きをするときこそ筋力が必要なのだ。それは、能などの芸能が極めて筋力を必要とすることからしても判る。
物を静かに置けないのは、日本人の筋力がないのか、それとも躾が悪いのか。