今夜のNHKのクローズアップ現代で、「消す権利」を取り上げていた。
ネット上に、個人情報を載せたばかりに、その個人情報が一人歩き或いは盗まれて、ウィルスが増殖するように広範囲(外国まで)蔓延し、そのため、その人がネット上で攻撃されたり、酷いものになると自宅に脅迫文まで送付されてきてしまうというものだった。そして、被害にあった人の中には引き籠もりとなってしまった人もいるというのだ。
そして、サイトの運営者に対して、個人情報の抹消を請求する権利というのが「消す権利」ということらしい。
しかし、サイトの運営者からすると、憲法上で保証されている表現の自由との関係で難しい問題があるということで、そのため、外国でも日本でも現在、個人がサイト運営者に対して、訴訟等によって抹消を請求する事件が起きているということだ。
しかし、私は、NHKの放送トーン、即ち、サイトから個人情報がいわば盗まれた人を被害者としてのみ扱っているトーンには同調できなかった。
このような事態は、サイトに登録したりすれば当然発生することは予想ができたはずだ。私は、この間、友人から「何とかブック」というものを使って友人とメールの交換をしないかというメールが入っていた。私としては、私の個人情報をそのようなものに渡すことはできないとして、友人にいつも使っているメールで断りを入れた。すると、友人から私宛に直接にはそのようなメールをしていないとの返事とお詫びがあった。即ち、何か操作を間違って、彼の情報が「何とかブック」に流出し、その情報に基づいて、私のところにも「何とかブック」を使わないかといういわば勧誘が入ったということらしい。
私は、「消す権利」を云々する前に、サイトに個人情報を流してしまった被害者は、自らの軽率さをまず反省すべきで、マスコミとしてはこの点についてもっと重点を置いた報道をすべきであったと思うのだ。
どんなサイトでも安全ということはなく、世界中には極めて「優れた」ハッカーもどきがいるのであり、セキュリティをかいくぐって個人情報を盗むなど朝飯前という輩がゴチャマンといることは、ネットをいじる者は、誰でも知っているはずだ。
それにもかかわらず、自分の個人情報それも毎日の生活(それは必ずしも褒められたものではない。)をネット上に垂れ流した者は、その危険を熟知したうえでやったとしか思えないのだ。
私は、そのような者が、一転して「被害者」として「知る権利」を声高に主張する現代社会が怖い。今度は、軽率な者が「権利者」となってしまうのだ。
「被害者」は「被害者」であるべきで、「権利者」まで高まるのは極めて例外であって、サイトの「被害者」が「権利者」となるというのは何となく違うような気がするのだ。
これは、サイトだけにとどまるものではなく、一般社会においても同じことがいえる。
人は、自らが属する集団(国、県、市或いは地域)において、自らをどのように表現するのかと似ている。「誰々さんは・・・・なんだって」とか、「誰々さんは・・・・をしているんだって」などということである。それは、単なる噂話であることもあろう。しかし、そのようなことを言われることについては、自らが関与し、知らず知らずのうちに自らが喜んで情報を流してしまっていることが儘ある。そのような行動は、極めて世間を狭くしてしまう。そして、それを消し去ることは容易ではなく、結局のところ、そのような話が横行する場所に定住することになることもある。殊に狭い世界においては、一旦そのような烙印を押されると「消す権利」など役に立たないことがある。
個人情報保護に関する法律に対して、私自身はその制定に反対した。この法律は、結局のところ、大企業、銀行、国家権力或いはほんの一握りの富豪や政治家の役にはたっても、庶民には全く関係のないもので、庶民の権利を守るためにはそのような法律は不要と考えたからだ。
奇しくも、今回のNHKの放送を見て、庶民が如何に個人情報の大切さなど考えていないのかを痛感するとともに、個人情報保護に関する法律制定に反対したことが間違いでなかったことが検証された気がしたが、それは間違いか?